私達は“欠けているもの”を見つけるのが大の苦手…「欠如の無視」から起こる 想像の誤りとはー『明日の幸せを科学する』から知る“未来を予測する脳のメカニズム”⑩

ハーバード大学の人気教授 ダニエル・ギルバート氏の『明日の幸せを科学する』を通して、“脳のメカニズム”をご紹介していきます。

今回はその10回目です。

明日の幸せを科学する

スポンサーリンク

『明日の幸せを科学する』の主題-人間は未来をどう想像しているのか

未来の自分を幸せにしたいと思いながら、幸せになれていないのは?

私達は常に「どうすれば幸せになることができるのか?」を考え、
毎日、未来の自分を幸せにするための選択をしていると思います。

ところが、幸せになれるどころか、選択をしたことを後悔してしまうことさえあるのではないでしょうか。

それは、
「私達が未来を想像するとき、誰もが規則正しく 想像に関する共通した誤りを犯しているから
なのです。

では、その想像に関する共通した誤りとはどのようなものなのか、
それについて解説されているのが『明日の幸せを科学する』です。

前回は、未来を想像するときに犯す誤りとは、具体的にどんなものかについてお話ししました。

私達は想像をするときも無意識に“穴埋めのトリック”を使っている

私達が何かを想像するとき、それは難なくできる一方で、どのように想像がされているかが監視されていないという問題が生じる、といわれています。

実は、過去や現在について穴埋めをしているのと同様に、私達は未来を想像するときにも穴埋めがされていて、しかも自分は正しく未来を想像できていると思い込んでいるのです。

たとえば、

「スパゲッティを想像してもらい、それを明日の夕飯にしたらどのくらい楽しい食事になるかを聞かせてほしい」

と言われたなら、私達はなんなく想像し、楽しめるかどうかを答えると思います。

しかし相手の質問に正確に答えようとするなら、

  • 質問からは、どんなスパゲッティを想像すべきかの細部までわからなかったのだから細部を確認するか、予測するのを差し控える
  • 「〇〇のときに〇〇で食べる〇〇スパゲッティならば、おそらく気に入ると思う」と但し書きをつけて予測を加減する

ということをしなければなりませんね。

けれど私達は予測を差し控えたり、但し書きをつけたりすることなく、すばやくスパゲッティを想像し、その一皿と自分がどんな関係になるかを予測します。

このことからも、人は、未来の出来事に対する自分の反応を予測をするとき、穴埋めのトリック(細部を確認せずに、予測を差し控えることなく想像する)を行っている(しかもそれを自分自身が忘れている)ことがわかりますね。

さらに実験によって、私達は未来を想像するとき、(どれくらい細かく想像するかの指示がなければ、細部を確認することなく)無意識に特定の出来事をイメージし、しかもその細部も正しいと想定する傾向にあることもわかっているのです。

※以下は、事細かに未来の描写をさせ、その描写が正しいと想定するように指示したグループと、特に細部の描写や想定の正しさについて指示しなかったグループの、想像に対する自信を調べた実験です。想像に対する自信は変わらなかったことから、私達はでっち上げた細部が正しいと想定しているとわかります

私達はこのように、細部を脳がでっち上げていることに気づかずに誤った未来を想像して、その出来事にどう反応するかを予測します
そのため、予想した未来の反応とは異なる結果を招くのです

その例として、パーティーという言葉だけを聞いて「堅苦しい感じのするカクテルパーティー」を思い浮かべて、自分の性に合わないと思っていたものの、実際には自分の好みにマッチしたパーティーだったことが紹介されていました。

想像のパーティー実際のパーティー

想像したものを「事実の正確な反映」であるかのように見てとることが、私達の未来の想像に対して犯す過ちであると指摘されています。

前回の記事はこちら

この想像に関する誤りは、脳が細部を穴埋めすることにとどまらず、脳が細部を放っておくというものもあると指摘されています(しかもそれは、穴埋めよりもたちが悪いことも言及されています)。

今回は、その「脳はこっそり無視する」ことについてお話ししていきます。

想像に関する誤り-脳はこっそりと無視する

私達は「何が欠けているか」に非常に気づきにくい

想像に関する誤りである「脳はこっそり無視する」とは、

人は未来を想像するときに、どの想像が欠けているかほとんど気づかない

ことだといわれています。

さらにその欠けている部分こそ、私達が思っているよりはるかに重要であるのです。

この脳のメカニズムを明らかにするために、まず、私達は「何が欠けているか、何が足りていないか」ということに非常に気づきにくいことが指摘されていました。

ある研究で、実験協力者に、3文字の文字列(例:SXY, GTR, BCG, EVXなどの、アルファベット3文字を組み合わせた文字列)のセットを見せて、推論させるゲームをしてもらいました。

どんな推論をさせるかというと、研究者は、はじめに1セットに含まれる複数の文字列のうち1つを指して、協力者にこの文字列だけ特別だと告げます。

先の文字列のセットでいえば、SXY, GTR, BCG, EVXのうち「GTRだけ特別な文字列ですよ」と告げる、ということですね。

協力者に推論させるのは、なぜその文字列(GTR)だけが特別なのか、ということです。
協力者は、特別な文字列にどんな特徴があり、ほかの文字列とどう違っているかを見極めなければなりません。

研究では、協力者に次々と文字列のセットを見せながら、研究者がその中の特別な文字列を1つずつ、指していきました。

では、協力者は何セット見たところで、特別な文字列の特徴を推論できたでしょうか。

この研究では、研究前に、協力者が2つのグループに分けられていました。

1つ目のグループでは、「T」のある文字が特別な文字列であり、各セットに1つずつだけ含まれていて、その「T」の入った文字列が指されていきます。

すると、およそ34セットを見たところで、このグループの協力者たちは、特別な文字列の特徴は「T」のあることだと突き止めました。

それに対して、2つ目のグループが見たセットでは、特別な文字列を特徴づける点は、セットの中でその文字列にだけ「T」が含まれていないことでした。

では、2つ目んグループはどんな結果が出たのでしょうか。実は驚くべきことに、文字列のセットをいくつ見せられても、このグループの誰一人としてこの特徴(その文字列にだけ「T」が含まれていないこと)を見極めることができなかったのです。

文字があることには気づくことができても、文字がないことに気づくのは不可能だったのですね。

特別な文字列の特徴を推論させるゲーム2

欠けているもの(起きていないもの)は無視することで起こる 日常での誤り

この欠如について考えられない一般的な傾向が、文字列の特徴を見つけることにだけ現れるなら特に気にとめる必要はありませんね。

ところがその傾向は、日々の生活の中で生じる誤りの、重大な原因になっている、と指摘されています。

何か悪いことが繰り返し起こると、その出来事は自分に頻繁に起こりやすい(だから自分は運が悪い)と思いますね。

しかし本当にその出来事が自分に起こりやすいかどうかは、それがどれくらい自分に起こらなかったか(いわゆる、ハズレがどれくらいあったか)も、考慮しなければなりません。

ハズレは、起きた出来事からどんな推測が引き出されるかを左右する重大な要素なのです

科学者は、物事の相関関係を確定しようと思ったならば(例:コレステロールと心臓発作との相関関係)、

  • 2つが両方ある場合(コレステロール値が高くて心臓発作を起こした人の数)
  • 片方のみの場合(コレストロール値が高いのに心臓発作を起こさなかった人、コレストロール値が高くないのに心臓発作を起こした人の数)
  • 両方がない場合(コレストロール値が高くなく、心臓発作を起こさなかった人の数)

をすべて考慮したデータを用いて計算をします。

2つの物事に真の相関関係がある可能性を評価にするには、このような数値が全部必要になるのです。

こうしたことは聞けば当たり前のように思います(まわりで心臓発作を患った3名の人がみなコレストロール値が高かったからといって、コレストロール値と心臓発作に強い相関関係があるといえませんね)。

しかし、ふつうの人が2つの物事について相関関係があるかどうかを知りたいと思ったら、起きたことについて調べたり、注目したり、考慮したり、思い出したりするだけで、起きなかったことについては あれこれ考えないことが研究で示されている、といわれています。

(先の例でいえば、心臓発作を発症した人にどんな特徴があったかばかりを見て、心臓発作を患っていない人の特徴は見ない、ということですね)

欠けているものを無視することで起こる、矛盾した結果

私達が、欠如しているものや「〇〇でないもの」について考えられない傾向にあることで、奇妙な判断をしていることも指摘されています。

30年ほど前のある研究で、アメリカ人に

  • セイロン(現在のスリランカ)とネパール
  • 西ドイツと東ドイツ

という組み合わせのうち、互いの国がより似ているのはどちらの組か、と尋ねました。

すると、ほとんどの人が「東西ドイツのほうがより似ている」と選んだそうです。

ところが、似ていない国の組み合わせはどちらの組かを尋ねても、ほとんどのアメリカ人は同じく東西ドイツを選んだとわかりました。

一方の組み合わせのほうが、もう一方の組み合わせより似ていて、同時に似ていないことがあり得るでしょうか。

そんなことはありえませんね。

しかし、欠けているもの(起きていないもの)は無視するという私達の傾向から見ると、なぜこのような結果となったかがわかります。

2つの国が似ているかどうかを判断するように求められると、人は共通点を探そうとし、共通点でないものを無視します
反対に、2つの国が違っているどうかを判断するように求められると、相違点を探そうとし、相違点でないものは無視することから、こんな結果が得られたのですね。

欠如を無視する傾向は、個人的な判断にも影響を与える

欠如しているものや「〇〇でないもの」を無視する傾向は、もっと個人的な判断も混乱させる、といわれています。

例えばとして、次の2つの島から1つを選んで、次の休暇を過ごすとします。

1つ目の島は「平凡島」で、気候も平凡、砂浜も平凡、夜の娯楽も平凡な島です。

もう1つの島は「極端島」。気候はよく、砂浜も素晴らしいですが、ホテルはみすぼらしく、夜の娯楽のない島です。

予約をする時期がきて、どちらかに決めなければならなくなったとき、あなたはどちらを予約するでしょうか。

ほとんどの人は「極端島」を予約するそうです。

また、とりあえず2つの島を仮予約したものの、クレジットカードから解約料が引き落とされる前にどちらかをキャンセルしなければならなくなったとき、あなたはどちらをキャンセルするでしょうか。

ほとんどの人は「極端島」をキャンセルする、といわれています。

なぜ選ぶのもキャンセルをするのも、極端島なのでしょうか。

それは、私達は何かを選ぶときにはその選択肢の長所(その選択肢を選ぶのにふさわしいもの)を考え、短所(その選択肢を選ぶのにふさわしくないもの)は無視する傾向にあるからであり、
反対に、何かを却下するときには、短所(その選択肢を却下するのにふさわしいもの)を考え、長所(その選択肢を却下するのにふさわしくないもの)は無視する傾向にあるからなのです。

※もちろん、これには個人差があると思いますが、比較的そういう傾向にある、ということですね

極端島には最大の長所と最大の短所があるため、選ぶべきよい点を探しているときも、却下すべき悪い点を探しているときも、極端島が目につくのですね。

欠如を無視する傾向は、個人的な判断にも影響を与える

想像に関しても起こる「欠けているもの、欠如の無視」

この欠けているもの、「〇〇ではないもの」を軽視する傾向は、未来についての考え方にも影響を及ぼす、といわれています。

過去の出来事を事細かには記憶していないように、私達は未来の出来事を想像するときも、事細かに想像しようとしない、といわれています(どこまで想像するかを確認することなく想像し、しかもその想定に根拠のない自信を持っていることを、前回お話ししました)。

例えば、ここで目を閉じて、メルセデスベンツを乗りまわしている自分の姿を、まる2時間想像しようと思えば、それはできるでしょう。

しかし、たとえ何時間かけて想像したとしても、心の浮かべたイメージをじっくり調べてナンバープレートを読み上げてほしい、と言われたらどうでしょうか。

「ナンバープレートまでは想像していなかった」と認めざるを得ませんね。

もちろん、そこまで想像をする必要などないでしょう。

ところが私達は、自分が想像している出来事の細部を実際に起きるものとして扱う傾向があると同様に、自分が想像しなかった未来の出来事の細部を実際に起こらないものとして扱う傾向にある、といわれています。

想像がどれくらい穴埋めをするかを気にしないのと同時に、どのくらい穴埋めを放っておくかも気にしないのです。

「想像しなかった出来事=実際に起こらない」と思う傾向がもたらす、想像の罠

これに関して、ヴァージニア大学で行われた研究が紹介されていました。

それは、大学のフットボールチームが、今度のノースカロライナ大学との試合で勝ったら(あるいは負けたら)、数日後はどんな気持ちでいると思うか尋ねる、というものです。

学生を半数に分け、1つ目のグループには、その予測を立てる前に、普段の1日に起こる出来事を描写してもらいました。

2つ目のグループには、そのような描写をさせませんでした。

数日後、学生にどれくらい幸せかを尋ねたところ、2つ目のグループだけ(1日の描写をさせなかった)が勝敗の影響を大幅に大きく見積もっていたとわかりました。

2つ目のグループの予想と実際の気分との関係例:

試合に勝った⇒気分が高揚していると予想したが、実際はそれほどよい気分は続かなかった

試合に負けた⇒落ち込んでいる予想したが、実際はそれほど悪い気分ではなかった

なぜ描写をさせなかった2つ目のグループだけ、見積もりを大きく誤ったのでしょうか。

それは、未来を想像したとき、試合後に起こるであろう出来事の細部まで想像しなかったからです。

例えば、自分たちのチームが負けた直後に友達と飲みに行けば、負けた後でもいい気分になれます。

反対に、チームが勝った直後に期末試験の範囲が想定より広かったことに気がついて、図書館で勉強しなければならなくなったら、気分が落ち込んでしまいますね。

2つ目のグループは、未来のたった1つの側面-フットボールの試合結果-にしか注目をせず、飲み会や試験勉強といった、幸せに影響を及ぼすであろう未来のほかの面は想像しなかったのです。

一方で、1日に起こる出来事を描写した1つ目のグループは、細部の出来事までを考慮に入れざるを得なかったので、より正確な予測をしたのでした。

試合の勝敗が気持ちに与える影響を予測する実験

この実験からも、私達は、自分が想像しなかった未来の出来事の細部を、自分の気分には何も影響を与えないと思う傾向にあるとわかります。

しかし実際は、その細部が私達の気分に大きな影響を与えているのですね。

この傾向により、私達は未来を想像するときに誤りを犯す(特定の出来事の影響を過大評価して細部を無視したために、思ったほど幸せになれなかったと感じる)のです。

次回は、別の例によってわかる、脳がこっそり無視することによって起きる想像の誤り、
また、「遠くのものは小さく、きれいに見える」という脳の特徴からくる想像の誤りをお話ししていきます。

まとめ

  • 想像に関する2つ目の誤りは、「人は未来を想像するときに、どの想像が欠けているかほとんど気づかない」ことです
  • 私達は「何が欠けているか、何が足りていないか」ということに非常に気づきにくい、といわれています。実際に、特別な文字列の特徴を推論する実験で、ある文字がないという特徴に気づくのは不可能だったとわかりました
  • 私達には、欠けているもの、「〇〇ではないもの」を無視する傾向があることは、さまざま実験で明らかになっています(例:相関関係を考えるときに起きなかったことについてはあれこれ考えない、2つの国の共通点・相違点を見つけるのは得意だが 共通でないものや相違していないものは無視してしまうことなど)
  • 欠けているものを軽視する傾向は、想像についても現れます。私達は未来を想像するとき、事細かに想像することなく、細部を無視しがちです。さらにその想像しなかった細部は実際に起こらない(自分の未来の状態に影響を与えない)ものとして扱う傾向にあります。
    この傾向によって、私達は想像に関する誤りを犯すのです

続きの記事はこちら

スポンサーリンク