ハーバード大学の人気教授 ダニエル・ギルバート氏の『明日の幸せを科学する』を通して、“脳のメカニズム”をご紹介していきます。
今回はその9回目です。
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『明日の幸せを科学する』の主題-人間は未来をどう想像しているのか
未来の自分を幸せにしたいと思いながら、幸せになれていないのは?
私達は常に「どうすれば幸せになることができるのか?」を考え、
毎日、未来の自分を幸せにするための選択をしています。
ところが、幸せになれるどころか、選択をしたことを後悔してしまうことさえあります。
それは、
私達が未来を想像するとき、
誰もが規則正しく 想像に関する共通した誤りを犯しているから、
なのです。
では、その想像に関する共通した誤りとはどのようなものなのか、
それについて解説されているのが『明日の幸せを科学する』です。
前回は、私達が誤った未来を想像してしまう理由を、「過去の記憶」や「現在の知覚」という観点からお話をしました。
「記憶」と「知覚」の誤りをもたらす“感覚のトリック”とは
私達は日々、「もし〇〇だったら どんな気持ちになるだろうか」と想像しながら、さまざまな選択をしています。
いわば、未来に向けてのシミュレーションをしているのです。
このシミュレーションのおかげで、私達は「自分は愚かな選択はしていない。幸せになるための選択ができている」と思っていますね。
ところが、そこには落とし穴があると指摘されています。この落とし穴にはまって、私達は未来について誤った想像をしてしまうのです。
その想像の欠点は、記憶と知覚の欠点と共通しています。
脳のトリックがもたらす「記憶の穴埋め」
脳は、経験をそのまま記憶しているのではなく、経験を圧縮して、一部だけを記憶しています。
そして、それを思い出す段階で、大量の情報をすばやく“でっち上げて”いるのです。
このでっち上げがすばやく無理なく行われるため、私達は自分が正確に記憶していると錯覚します。
しかし、私達の記憶には多くの穴が空いていること、推測によってその穴が埋められ、記憶がでっち上げられていることは、さまざま実験で確かめられているのです。
脳のトリックがもたらす「知覚の穴埋め」
この穴埋めのトリックは、いま見ているものや聴いているもの(現在、知覚しているもの)にも行われています。
見ているものでいえば、盲点にあたる箇所は、脳がまわりの情報をもとに妥当な映像を推測して、視野の穴埋めを行っているのです。
また、聞いていない音に対しても、その後に聞いた情報から推測して、聞いていない音をあたかも聞こえていたように錯聴していることも実験でわかっています。
私達は、この脳のトリックをどれだけ詳しく理解していても、脳にだまされないことはなく、常にトリックに引っかかってしまうのです(記憶になかったことを「自分は記憶していた」と思い、見えていないものを「見えている」と言い、聞こえなかったことを「確かに聞こえた」と言うのですね)。
人は「実在論」から完全に脱することはできない
脳のトリックに引っかかってしまう理由として、人間は「実在論」から離れることができないことが挙げられています。
実在論とは、物事は 自分が見たままの姿で現実に現れている、という考えのことです。
対する理論として、「観念論」があります。
観念論とは、私達の認識(知覚)は、自分が見たものと、もともとの思考や感覚・知識・信念とを結合させたものである、ということです。
実在論とは知覚=写真、
観念論とは知覚=肖像画、に例えられています。
私達は、はじめは実在論から始まる、といわれています。
子どもは、自分が見ているものがすべてに共通している(=実在論)と信じる傾向にあります。
しかし成長するにつれて、自分が見ているものが必ずしもそこにあるとは限らない、同じものを見ていても自分の認識と ほかの人の認識は異なる(=観念論)ことに気づきます。
ただし実在論がなくなることはなく、私達は、最初は見たものを信じ(見たものがそのままの姿で存在していると思い)、必要であればそれを疑う(自分の見ているとおりに ほかの人も見ているとは限らないと思う)のです。
私達はこのような傾向にあるため、現実世界と酷似している 脳のでっち上げた世界に対して、それがでっち上げたとは気づかずに、そのまま信じてしまうのですね。
私達はこの事実を忘れることにより、未来を想像するときにも同様の誤りを犯す、といわています。
前回の詳細はこちら

今回は、未来を想像するときに犯す誤りとは、具体的にどんなものかをお話ししていきます。
未来を想像するときの誤りとは?想像でも生じる“穴埋めのトリック”
私達は、何かを想像するのに、特別な努力を要することはありませんね。
昼食に食べるつもりだったものを想像するのに、腕をまくりあげてまで、その仕事に真剣に集中する、ということはないでしょう。
それどころか、考えてみようかなという気にちょっとでもなった瞬間、脳はなんの苦もなく心に絵を描き、私達はそれを想像の産物として経験します。
難なく想像ができるというのは感謝すべき点でもありますが、同時に、ある問題が生じます。
それは、
- どのように想像がされているのかというプロセス
- 心にイメージが生まれる過程
を意識して監視をしていないことにあります。
穴埋めされた記憶や知覚と同じように、想像しているものもまた、実際の姿を正しく反映している仮定をしてしまうのです。
未来を想像するときにも起こる「穴埋め」
私達が想像していることもまた、実は穴埋めがされていて、しかも自分は未来を正しく想像していると思い込んでいる…。
たとえば、スパゲッティを想像してもらい、それを明日の夕飯にしたらどのくらい楽しい食事になるかを聞かせてほしい、と言われたとします。
その質問に、あなたは、たいして苦もなく想像することができたと思います。
その一方で、未来の想像への誤りにつながる 見逃しがちな点を、ギルバート教授は指摘しています。
それは、あなたが想像したスパゲッティが、質問した人の言ったスパゲッティよりも はるかにぜいたくだった点である、といわれています。
どんな想像をしたにせよ(たとえ、缶から出したベタベタのスパゲッティを想像していたにせよ)、質問者の「スパゲッティ」という言葉を聞いたとき、
あなたは、たった一皿の麺を思い浮かべる前に、ソースや場面(キッチンカウンターで立ったまま食べるか、お気に入りのレストランで食べるか)の細かな条件を問いただそうという衝動に駆られることはなかったと思います。
缶から出したスパゲッティではなく… | 豪華なスパゲッティを思い浮かべたはず |
![]() | ![]() |
あなたは、質問者に欠けていた細部のすべて穴埋めし、想像上の豪華な特製パスタを差し出したのではないでしょうか。
この未来のスパゲッティの喜びを予測するとき、特定の記憶や特定の知覚に反応するときと同じように、この特定の想像・心のイメージに反応しました。
つまり、細かで不明な部分を穴埋めしていた、ということですね。
予測を差し控えることなく、ついやってしまう“細部の穴埋め”
しかし、もし質問者の問いに正確に答えようとするなら、
- 細部までわからなかったのだから、スパゲッティについて予測するのを差し控える
- 細部を確認する
- 「〇〇のときに〇〇で食べる 〇〇スパゲッティなら、おそらく気に入ると思う」と但し書きをつけて予測を加減する
ということをやらねばなりません。
けれど私達は、まず間違いなく、予測を差し控えたり加減したりせず、
すばやく想像上のスパゲッティを出して、その一皿と自分がどんな関係になるかを予測するのです。
予測を差し控えることができる、
あるいは細部を確認したり、但し書きをつけて予測を加減できたりすることは勲章ものである、とギルバート氏が言われるほど、細部の穴埋めはなかなか止められないものなのです。
研究によると、
人は、未来の出来事に対する自分の反応を予測するとき、想像につきものの穴埋めトリックを脳がやっていることを忘れがちだ
とわかっています。
実験でわかった、想像の穴埋めへの過信
これについて、志願者に未来のさまざまな状況下で 自分がどう行動するかを尋ねた研究が紹介されていました。
さまざまな状況下とは、たとえば、
- 電話調査の質問にどのくらいなら応答してもいいか
- レストランで特別なお祝いディナーをするのに、いくらなら投資してもいいか
などのようなものです。
さらに、それぞれの予測の正しさにどれくらいの自信があるか(実際にその状況になったときに、本当に自分はその予測通りに行動するかどうか)も尋ねました。
予測してもらう前に、志願者を2つのグループに分けます。
最初のグループには、想像中の未来の出来事を事細かに描写させ、描写した細部がすべて正しいと想定するように指示をしました。
たとえば、「今、〇〇レストランで〇〇(具体的な食材と料理名)を食べているところを想像しています」など、です。
もう1つのグループには、細かい描写をさせたり 正しいと想定したりするように指示はしませんでした。
その結果、細かな描写を指示しなかったグループが抱いた自信は、細かな描写を指示したグループが抱いた自信とまったく変わらないことがわかったそうです。
先のスパゲッティについての質問と同じように、この研究で志願者がディナーについて尋ねられたとき、細かな描写の指示が与えられていないとすると、そのディナーを楽しめるかどうかを正確に予測するには、
- どのくらいの細部まで想像するかを確認する
- その細部が実際に正しいかどうかを確認する
ということをしなければなりません。
しかし細かな描写を指示しなかったグループは、瞬間的かつ無意識に、特定のレストランでの特定の食事を心に思い描き、しかもそれが細部まで正しいと想定したのですね。
未来を想像し、自分がどれくらい楽しんでいるかを予測するには、細部までを想像し、しかもそれが正しいことまで確認しなければなりませんが、
私達は無意識に細部の穴埋めをし、そしてその穴埋めが正しいと思っている(穴埋めだということに気づかない)のですね。
では、その未来の穴埋めによって、どのような過ちを犯してしまうのでしょうか。
想像した未来とはまったく違ったことが起きる理由
仮に、友人に、次の金曜日の晩はパーティーに付き合ってほしい、と頼まれたとします。
すると私達の脳はすぐさま、「都心にあるホテルのイベントハウスでのカクテルパーティー(堅苦しい場・雰囲気、自分には合わないお酒や料理)」のイメージを作り上げるかもしれません。
そして、その想像した出来事に自分がどう反応するかを予測して、退屈なときを過ごすだろうと結論を出します。
こんなときはたいてい、自分の考えから抜けて落ちてしまっていることがあります。
それはパーティーといっても、
- いかにさまざまなパーティーがあるか(誕生祝いや画廊のオープン、映画の打ち上げや職場のパーティー、どんちゃん騒ぎ・徹夜の宴会など)という点
- どんなパーティーかによって 自分の反応が異なる、という点
ですね。
パーティーに対する 未来の自分の反応を想像して「パーティーに行くのはやめよう」と言い、
それでも無理に連れて行かれると、結局は最高に素晴らしいときを過ごすこともあります。
なぜなら、パーティーの中身が想像と異なることが大いに有り得るからですね(堅苦しい雰囲気や自分に合わない酒・料理ではなく、自分好みの場と雰囲気と料理だった)。
想像のパーティー | 実際のパーティー |
![]() | ![]() |
自分の性には合わないと予測したにもかかわらず、それを気に入ったのは、脳がもっともありそうな事態を詳しく予測したのに、その脳の推測が間違っていたせいですね。
つまり、私達は未来を想像するときに、ちょくちょく心の目の盲点に入ったままで想像します(細部をでっち上げて想像する)。
そのせいで、どう感じるか検討したい未来の出来事も、誤って想像をしてしまうのです。
大事業を成し遂げた人の人生を 想像するときの過ち
このような傾向は、パーティーやレストランについての予測にとどりません。
人がどのような人生を送り、どのような気持ちで過ごしたのかを想像するとき、私達はその人の人生の、断片的な事実しか知りません。
その事実を細部を穴埋めしながらつなぎ合わせていくことで、その人がどんな気持ちで人生を送ったかを想像するのですが、でっち上げの細部の穴埋めが 予測に大きく影響をすることもあるのですね。
数々の大事業を成し遂げ、自分の富を公共の利益のために寄付し、何百万もの人生を向上させることに貢献したきた人、と聞くと、さぞ満足のいく人生を送っていったのだろう、と思います。
ところが、その人は最期、自殺をして人生を終えていると知ったならば、驚くにちがいありません(実際に、アメリカの実業家 ジョージ・イーストマンは、上記のような人生を送ったのち、最期は自死しました)。
実は、上記の人生を送った人物の晩年は、脊髄の病気を患い、これまで行ってきた活動的な生活を送るのが困難になっていき、回復の見込みもまったくない状況だったそうです。
そのような事実を知ると、つらい現状と、絶望的な未来を前に、自ら命を絶つということも考えられなくはないとわかります。
「こんな素晴らしい人生を送っていたのに、なぜ自殺をしたのか?」と私達が思う理由の1つが、まず間違いなく、私達がその人物の境遇を誤って想像したことにあるのです。
私達は、脳が作り出した細部(晩年も幸せに過ごした)を疑うことなく、考え直しもせず、自分がその人物の立場ならどう感じるのかを予測しました。
想像したものを「事実の正確な反映」であるかのように見てとることが、私達の未来の想像に対して犯す過ちなのですね。
次回予告
脳が、想像するときに穴埋めのトリックを使っているとなんとなくわかった気になっていても、私達はどうしても自分が想像したとおりに未来が展開すると期待してしまいます。
しかしその期待が、私達を誤った選択へといざなってしまうのですね。
この想像に関する誤りは、脳が細部を穴埋めすることにとどまらず、脳が細部を放っておくというものもあると指摘されています(しかもそれは、穴埋めよりもたちが悪いことも言及されています)。
その「脳はこっそり無視する」ことについては次回以降、詳しくご紹介します。
まとめ
- 私達が何かを想像するとき、それは難なくできる一方で、どのように想像がされているかが監視されていないという問題が生じる、といわれています
- 未来を想像し、その未来に自分がどう反応するかを正確に予測するには、どのくらいの細部まで想像するかを確認し、さらにその想像した細部が正しいかどうかも確認しなければなりません。しかし私達は無意識に特定の出来事をイメージし、しかもその細部も正しいと想定する傾向にあることが研究でもわかっています
- 私達は未来を想像するときに、細部を脳がでっち上げていることに気づかずに誤った未来を想像して、その出来事にどう反応するかを予測します。それによって、予想した未来の反応とは異なる結果を招くのです(例:パーティーという言葉だけを聞いてカクテルパーティーを思い浮かべて、自分の性に合わないと思っていたものの、実際には自分の好みにマッチしたパーティーだった)
- 人がどのような生涯を送り、どのような気持ちで人生を終えたかを想像するときも、私達は脳が作り出した細部を疑うこと無く、それが「事実の正確な反映」と見なしてしまいます
続きの記事はこちら

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