本来、測定不可能な「幸せ・幸福感」を測定する際の3つの前提ー『明日の幸せを科学する』から知る“未来を予測する脳のメカニズム”⑦

ハーバード大学の人気教授 ダニエル・ギルバート氏の『明日の幸せを科学する』を通して、“脳のメカニズム”をご紹介していきます。

今回はその7回目です。

明日の幸せを科学する

スポンサーリンク

『明日の幸せを科学する』の主題-人間は未来をどう想像しているのか

未来の自分を幸せにしたいと思いながら、幸せになれていないのは?

私達は日々、「どうすれば未来の自分を幸せにしてあげられるか」を考え、そのための選択をしています。
ところが、幸せになれるどころか、選択したことを後悔さえしてしまうことがあります。

それは、私達が未来を想像するときに、誰もが規則正しく 想像に関する共通した誤りを犯すからなのです。

では、その想像に関する共通した誤りとは何か、
それについて解説されているのが『明日の幸せを科学する』なのです。

前回は、自分自身の感情経験の判断についてお話しました。

自分の感情経験を思い違うことはあるのか

私達は、自分の感情経験を思い違える、ということがあります。

それは、物体の正体が判明する前でも、恐ろしいものを前にすれば、身体に生理反応を起こさせ、いつでも逃走させられるように脳が設計されていることと関連があります。

物体の正体がわかる前に逃げ出せる脳の仕組み

上図のように、私達は 物体の正体がハッキリする前に覚醒し、感情が生じることから、何をその感情の原因と捉えるかで、感情経験をどう解釈するかが決まるといえるのです。

これに関して、カナダのキャピラノ川にかかる、長く狭い吊り橋で行われた実験がよく知られています。

実験内容は、参加者の男性に女性が近づいていき、アンケート調査に協力してくれるように依頼する、というものです(アンケート後に女性は電話番号を渡し、連絡をくれれば研究についてもっと詳しく説明をする、と伝えます)。

参加者は2つのグループに分けられ、1つ目のグループがアンケートに答えたのは橋を渡り終えてからだったのに対し、2つ目のグループは橋を渡っている最中に答えました。

すると、2つ目のグループのほうが、後で女性に連絡する傾向がはるかに高いことがわかったのです。

不安定に揺れる吊り橋の途中で女性に会った2つ目のグループの男性は、生理的に覚醒した状態でした。

ふつうは、ドキドキする感覚を、「吊り橋を渡っている」ことへの恐怖と認識するはずです。
しかし目の前の女性が魅力的であったために、男性は、ドキドキする感覚を恋愛感情と認識したのですね。

このように人は、自分の感情を誤解することがあるのです。

何かを感じているのに、その感情に気づかないことがあるのか

また、私達には、何かを感じているのにその感情に気づかない、ということがあります。

それは、経験していることでも「自覚」がない、ということと関係しています。

たとえば、新聞や雑誌に目を通していたはずなのに、ふと気がつくと、読んでいる記事の内容がわからなくなってしまった、という経験はないでしょうか。

これは、新聞・雑誌を読むという「経験」はしていたものの、読んでいる「自覚」はなかった、ということですね(ただ、自覚はできていなくても、経験したことを覚えてはいます)。

このように、経験と自覚とは区別ができるのです。

失感情言語化症(失感情症・アレキシサイミア)と呼ばれる症状の人は、確かに感情経験はしています(ショッキングな写真を見せると、一般の人と同様に 失感情言語化症の人にも生理反応が見られました)。

しかし失感情言語化症の人は、内的な状態を自覚するのを助ける脳の部位(前帯状皮質)が機能不全になっているため、自分はなにも感じていないと思い込み、自分が抱いている感情を表現することができません。

失感情言語化症(アレキシサイミア)の人の経験と自覚

この例からわかるように、私達には自分の感情に気づかないということがあるのです

前回の詳細はこちら

自分の感情なのに思い違う?思い込むことがある?感情の不思議なメカニズムー『明日の幸せを科学する』から知る“未来を予測する脳のメカニズム”⑥
ハーバード大学の人気教授ダニエル・ギルバート氏の『明日の幸せを科学する』を通して、“脳のメカニズム”をご紹介していきます。今回はその6回目です。明日の幸せを科学する『明日の幸せを科学する』の主題-人間は未来をどう想像しているのか未来の自分を...

今回は、私達は、自分が経験していること・抱いている感情が本当の幸せなのかどうかも断言できないでいるなかで、自分や相手の幸福感をどのように測ればいいのか、
その「幸せの測り方」についてお話ししていきます。

本来、測定不可能な「幸せ・幸福感」を測定する際の3つの前提

『明日の幸せを科学する』の著者であるダニエル・ギルバート氏は、「測定できない物事は科学的に研究できない」と指摘されています。

これはギルバート氏に限った意見ではなく、大半の科学者の意見と一致している、ともいわれています。

数量化できない対象の研究は、たとえ素晴らしい研究であっても、科学的な研究とはいえないのですね(科学=測定すること、ともいわれています)。

では、個々人の「幸せ」は、測定可能なものであるといえるのでしょうか。さらに その測定結果には信頼性があるといえるのでしょうか。

それについては、測定の妥当性と信頼性に絶対の自信を持つのは難しい、といわれています。

これまで見てきましたように、人は自分の感情がわからなかったり、勘違いしたり、思い出せなかったりもしますし、
測定する科学者のほうも、相手がどれだけ正確にその経験を表現しているかを厳密に知ることはできないからです。

そう考えると、幸福という、主観的な経験の科学的研究は難しいように思います。

しかし、幸福の科学的研究は不可能ではない、とも断言されています。

ただ、そのためには、以下の3つの前提を受け入れなければならないと指摘されています。

幸福の科学的研究の前提① 道具の不完全さを認める

幸福というのは主観的な経験であるため、その幸福感を寸分の狂いもなく測れる、信頼性の高い計測器が登場することはないでしょう。

今現在、科学者が対象を測定するのに使っている計器でさえも不完全であり、ある程度の誤差はつきものです。

まして、幸福を対象にする場合、完璧さを求め過ぎれば、測定される数値はすべて排除すべきものとなってしまいます。

そのため、多少の曖昧さは大目に見たほうがよさそうだ、といわれているのです。

幸福の科学的研究の前提② 当事者のその場その場の報告を基準とする

主観的な経験の測定にはどれも不備はあるものの、最も不備が少ないのは当事者の、その場その場の報告である、といわれています。

当事者の報告以外にも、幸せを測定する方法はいろいろあり、しかもそれらは本人の主張よりもずっと厳密で科学的で、客観的に見える方法です。

一例として、生理機能測定では、強い感情を経験したときに変化する自律神経系の

  • 皮膚電気活動
  • 呼吸活動
  • 心臓活動

を測定できる、といわれています。

また、磁気共鳴映像法(MRI)では、脳内の電気活動や血流を測定でき、

  • 正の感情を経験しているときは左前頭前野
  • 負の感情を経験しているときは右前頭前野

が活性化することが知られています。

一般に科学者は、本人の主観的な報告と、幸せを測定するほかの方法との間に強い相関関係があると示さなければ気が済まない、ともいわれています。

しかし、本人の「幸せだ」という主張がなければ、自律神経系の活動にしろ、前頭前野の血流にしろ、身体の変化を幸せの指標とすることはできませんね

仮に、左前頭前野の血流が増えているときに、みんながみんな、激しい怒りなり、暗澹とした気持ちなりを感じると言い出せば、幸せの指標とされていたこのような生理的変化は、今後は不幸の指標としなければならなくなるかもしれません。

人がどう感じるかを知るのに、決定的な見地から観察できるのは、その気持ちを抱いている本人しかいないことを認識しなければならないのですね。

先に見ましたように、私達は自分が以前にどう感じたかを客観的に評価できず、また自分が何を感じているかを自覚していない場合もあります。

しかし「自分が幸せか」を答えられる可能性をわずかでも持つ人は、当事者である本人しかいないことを認めざるを得ませんね。

そのため、本人の主張こそ、幸福であるかどうかの判断基準となっているのです。

幸福の科学的研究の前提③ 「大数の法則」に従い、何度も測定する

先の前提で、幸福かどうかの本人の主張こそが、幸福の判断基準であることを見てきました。

しかしその報告は、主観的な経験であるゆえに、どうしても不備が生じてしまいます。

その不備を見破るために、科学者ができることとして取り上げられているのが「大数の法則」です。

大数の法則とは、

少数がやれることをもっとたくさんするだけで、何かちがうことがやれる

と説明されています。

例として、脳の神経細胞が挙げられていました。

2個の神経細胞の間では、受け取った化学物質に反応して、同じ化学物質を放出するという、1つの作業が行われています。
その点で、神経細胞は単純な装置といえるでしょう。

ところが、この単純な装置が100億個 集まったらどうでしょうか。

単純な作業を100億こなせるだけか、というと、そうではありませんね。

何百億個と集まれば、数個や数十個、数万個では持ちえない特性を示します。これが人間の「意識」にあたります。

小さな数が大きくなっただけ、というのは、大数の法則への誤解なのです。

この大数の魔法が、主観的な経験をはかる不完全な測定の問題をかなり改善してくれる、とギルバート博士はいわれています。

大数の法則で改善される、不完全な測定の問題

たとえば、ふたりの志願者に、幸せな気分になってもらうのに、それぞれ別の経験を1つずつさせるとします。

ひとりには1億円を贈り、
もうひとりには小口径のリバルバーをプレゼントしたとします(少なくとも日本では、あり得ない実験内容ですが)。

そして、それぞれの志願者にどれくらい幸せかを答えてもらいました。

予想される答えとしては、ひとり目の志願者は「これ以上ない喜びだ」と言い、
ふたり目の志願者は「まあまあ嬉しい」と言う、というものでしょう。

しかし、ふたりが実際の感情経験とは 異なる表現をした可能性も(ゼロに等しいですが)あります。

もしかしたら、1億円を手にした人の喜びの言葉は建前で、内心は礼儀を表しているかもしれず、
リボルバーを手にした志願者は天にものぼる心地であったのに、控えめに満足と表現しただけもしれませんね。

これは極端な例としても、こうした問題(志願者の報告の内容と、実際に抱いている感情とに乖離があること)は現実でも起こり得る重要な問題です。

しかし、もしリボルバー100万丁と、現金入りの封筒100万枚を用意して志願者に渡し、現金を手に入れた人の90%が、銃を手に入れた人の90%より幸せだと主張したことがわかれば、表現の違いに惑わされる確率は極めて低くなりますね。

感情の思い違いをしている人、実際に抱いている感情とは別の感情表現をしている人がいるとしても、それは少数派だからですね。

ふたりの人が経験による感情をどう表現するかでは、その経験の本質を測定するのは不可能といえます。
けれど、ふたりの人ではなく、200、2000と対象者が増えていけば、完全にではなくても、本質を知るのに十分といえる測定ができるでしょう

幸福の科学的に研究する際の3つの前提

3つの前提を踏まえた結論

以上の前提を踏まえて、

  • 当事者のその場その場の報告は、主観的な経験の不完全な近似でしかないものの、それが幸福の測定の唯一の選択肢であること、
  • その経験の報告を大数になるまで慎重に集めれば、1つの不完全さが別の不完全さで相殺される。そのため、その報告を平均したものが平均的な経験の指標として、だいたい正確だと確信できる

と結論づけられています。

幸福という感情を、科学者が望むような正確さで測定すること、寸分の狂いもなく測ることは無理ではありますが、3つの前提に立てば、許容できるレベルまでは幸福感の測定ができることはわかりました。

 

次回からは、その幸福について、

  • 何が未来の自分を幸せにしてくれるか
  • 幸せになるための選択をしているのに、なぜ、そのための選択肢を見分けられずに後悔してしまうのか

という重要な問題について、科学がもたらす興味深いを答えをご紹介していきます。

まとめ

  • 測定できないもの、数量化できないものは科学的に研究できない、といわれています。幸福は主観的な経験であるため、科学的な研究は難しいといえます。しかし以下の3つの前提を受け入れれば不可能ではありません
    • 道具の不完全さを認める-
      完璧さを求め過ぎれば、測定値はすべて排除すべきものとなるため、多少の曖昧さは大目に見るべきといわれています
    • 当事者のその場その場の報告を基準とする-
      幸福の測定方法には、生理機能測定や磁気共鳴映像法など、厳密で科学的な方法があります。しかし当事者の「幸せだ」という主張がなければ、ほかのあらゆる測定結果は幸福の基準になりません。本人の主張こそが、幸福かどうかの判断基準です
    • 「大数の法則」に従い、何度も測定する-
      当事者の報告を幸福の判断基準とすれば、報告内容と、実際に抱いている感情とに乖離があるかもしれない、という問題が出てきます。しかし対象者が数百、数千、数万と増えていけば、互いの報告の不完全さを打ち消し合うので、だいたい正確な結果を得ることが可能です

続きの記事はこちら

脳は記憶をでっち上げている?無意識に行われる「記憶の穴埋め」のトリックとはー『明日の幸せを科学する』から知る“未来を予測する脳のメカニズム”⑧
ハーバード大学の人気教授ダニエル・ギルバート氏の『明日の幸せを科学する』を通して、“脳のメカニズム”をご紹介していきます。今回はその8回目です。明日の幸せを科学する『明日の幸せを科学する』の主題-人間は未来をどう想像しているのか未来の自分を...

スポンサーリンク