ハーバード大学の人気教授 ダニエル・ギルバート氏の『明日の幸せを科学する』を通して、“脳のメカニズム”をご紹介していきます。
今回はその3回目です。
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『明日の幸せを科学する』の主題-人間は未来をどう想像しているのか
未来の自分を幸せにしたいと思いながら、幸せになれていないのは?
『明日の幸せを科学する』には、
私達は日々、「どうすれば未来の自分を幸せにしてあげられるか」と考え、そのための選択をしていますが、想像していた未来が手に入ったにもかかわらず、思ったほどの幸せを感じることができない、
むしろ手に入れたものを不要とさえ思ってしまう理由が紹介されています。
それは、私達は未来を想像するとき、誰もが規則正しく 共通した誤りを犯しているからなのです。
では私達は、どのように未来の自己を考えているのでしょうか。
なぜ未来の自分の考えや感情をほとんど正確に理解できていないのでしょうか。
それを学ぶことで、今後の自分の選択もよりよいものにしていけるでしょう。
前回は、私達はそもそも 未来について考えることが好きであることをお話ししていました。
人が未来について考えるのをやめられない理由
私達は未来について一番考えており、1日の思考時間も未来の割合が意外に多い、といわれています。
その理由として以下の3つが挙げられていました。
①私達は空想することが大好き
私達は未来について考えるとき、楽しいこと(やり遂げた自分や成功した自分)を思い浮かべる傾向にある、といわれています。
それはとても心地よいことであるので、私達は空想するのが大好きなのです。
ただ、楽しい未来を想像することの危険性として、簡単に想像できる未来は それが起こる確率を過大に見積もってしまう、といわれています。
そのように未来を過剰に楽観視すれば、とるべき対策をとらなかったり、準備を怠ったりしてしまい、後悔にすることにもつながるのですね。
②悪い出来事への衝撃を和らげられる
私達は楽しい未来だけではなく、恐ろしい未来を想像する場合も多いです。
そうするのは、悪い出来事を先読みすることで心の準備ができ、それが実際に起きたときの衝撃や痛みを軽減することができるからですね。
③恐れや心配、不安によって特定の未来を防げる
また、悪い未来を想像するもう1つの理由として、未来の先読みが「恐れ読み」となり、それが私達の生活に役立つからです。
すなわち、恐れ読みをすることで「こんな嫌な結果を受けないようにしよう」と思えて、悪い結果を避けるための 正しい行動をとれるようになるのですね。
前回の詳細はこちら

このように、よい未来の想像も、悪い未来の想像にもそれぞれに理由があるため、私達は未来についてよく考えるとわかります。
しかしギルバート教授は、それらととは異なる“未来を考える最大の理由”がある、と指摘しています。
今回はそのことについてお話ししていきます。
未来について考える最大の理由
楽しい未来を予想をすることで私達は喜びが得られ、
また恐ろしい未来を予想することで、実際にその出来事が起きたときの痛みが軽減されたり、そんな未来を招かないように正しい行動が促されたりすることを見てきました。
しかしこれらは脳が未来について考える最大の理由ではありません。
その最大の理由は、これから味わう経験をコントロールするため、といわれています(先の3つの理由のなかの「恐れ読み」とも関連がありますね)。
これから起こりそうな出来事を事前に知ることで、それに何とか対処しようとするのです。そのために、未来を予言できると主張する人たちに大金が払われることもあります。
ではなぜ、未来の経験をコントロールしなければならないのでしょうか。それには、意外な正答と、意外な誤答があるといわれています。
なぜ未来をコントロールしなければならないのか、への意外な正答
どうして未来が自然に開けるのにまかせて、あるがままの経験をするのではいけないのか。
その意外な正答として、
人にとってコントロールすることが心地よいからだ
とギルバート教授は語っています。
コントロールすること自体が、私達にとって心地よいのですね。
コントロールに心地よさを感じるのは、「自分の力を発揮したい・自分が影響を及ぼしたい」という人間の基本的な欲求の1つ(「有能感」と呼ばれています)を満たされるからです。
人間はコントロールへの情熱を持って生まれてくる、といわれています。
このコントロールする能力を失ってしまうと、みじめな気分になり、途方にくれ、絶望し、憂うつになることもわかっているのです。
コントロール感覚は寿命にも影響する
ある研究で、地域の老人ホームの入所者に、以下のような条件のもとで観葉植物を配る、ということが行われました。
- 半数の入所者には、自分で植物の手入れと水やりを管理するように伝える
(高コントロール群) - もう半数の入所者には、職員が植物の世話をすると伝える
(低コントロール群)
すると6ヶ月後、低コントロール群では30%の入所者が亡くなっていたのに対し、高コントロール群で亡くなっていた人はわずか15%だったそうです。
このように、自分で物事をコントロールしているという感覚は、その人の寿命にさえも影響を与えていることがわかります。
予期せぬ不幸な結果からわかった、コントロール感覚を失うことの悪影響
さらに ある研究では、連絡不足から生じた 予期せぬ不幸な結果から、コントロール感覚を失うことへの大きな影響がわかりました。
それは、学生志願者を募って 入所者を定期的に訪問させる、というものです。
入所者は2つのグループに分けられました。
- 1つ目のグループは、入所者に訪問してほしい日にちと滞在の時間を自分で決めてもらう(例:「つぎの木曜に一時間ばかり来てちょうだい」など、=高コントロール群)
- 2つ目のグループは、そのように決めてもらうことはさせず、入所者はいつ学生の訪問があるかわからない(=低コントロール群)
すると2ヶ月後、高コントロール群の入所者は低コントロール群の入所者より幸せで、健康で、活動的で、薬の服用量が少ないことがわかりました。
この研究からも、コントロール感覚は 幸福感や健康状態によい影響を与え、寿命をも左右すると想定できます。
この時点で研究者は研究を終了し、学生の訪問も終わったのですが、実は この研究の影響は終わっていませんでした。
数カ月後、高コントロール群だった入居者の死亡数が極端に多いことがわかったのです。
これを聞いた研究者たちは愕然としたといいます。
その原因は、研究が終わって 今後は学生が訪問しないことを、入所者にはっきりと告げていなかったことにありました。
学生の訪問についての決定権を与えられ、コントロールすることでよい結果を得ていた入所者たちは、意図しなかったこととはいえ、研究が終わった途端、そのコントロールを奪われてしまったのですね。
これについて、ギルバート教授は、
コントロールを得ることは健康や幸福にプラスに働くが、コントロールをなくすのは、はじめから持っていないより深刻な事態を招きうる。
と指摘しています。
コントロールの及ばないものまで コントロールできているようにも思う
さらに私達は、コントロールへの欲求が強いがために、コントロールの及ばないものまでコントロールできるかのように振る舞うこともある、といわれています。
たとえば、サイコロを振って 出目の大きさを競うとき、自分がサイコロに触れるほうが勝てる気がします。
またどの出目が出た場合に勝ちにするかを、他人ではなく自分で決めたときのほうが、自分が当たるように感じます。
出目の大きさを競うときに自分がサイコロを触れることや、どの出目が出た場合に勝ちにするかを自分で決めることと、自分が勝負に勝つこととは無関係であり、勝ち負けは自分のコントロール外であるにもかかわらず、私達は 自分の関与と勝ち負けとが連動しているように思ってしまうのですね。
一番奇妙な点は、幻想でもコントロール感覚の恩恵を得られること
そして、コントロール感覚の一番奇妙な点として、コントロールしているというのが幻想であったとしても、実際のコントロール感覚が持つ心理学的な効用の多くが得られること、といわれています。
先に、コントロール感覚は幸福感や健康状態によい影響が与えられることをお話ししましたが、実際はコントロールできていなくても、思い込みによってもその効果は得られるのですね。
※臨床的にうつの人たちは、自分のコントロールが及ぶ程度をほとんどの場面で正確に予測できる傾向にあるため、この幻想によるコントロール感覚は生じないと考えられています
現実のものも、たとえ幻想であっても、コントロール感覚は精神的な衛生が得られるといえます。
未来をコントロールする理由への意外な正答-まとめ
私達がなぜ未来をコントロールしなければならないのかについて、
- コントロールすることが基本的な欲求を満たすことになり、心地よいからであること
そのコントロールすることに関して、
- コントロール感覚を持つことで幸福感が高まったり、健康状態がよくなったりすること
- コントロール感覚を失えば、はじめから持っていないよりも深刻な事態をも招く(絶望し、憂うつになり、死亡率さえも高まる)
- コントロール感覚は幻想であっても、実際のコントロール感覚と同様の 心理的な効用が得られること
を見てきました。
仮に、ボートで川を下るとすると、自らが舵をとること自体に私達は心地よさを感じるのですね。
なぜ未来をコントロールしなければならないのか、への意外な誤答
しかしここで、考えるべきことがもう1つあります。
それは、確かに自らが舵をとって川を下る行為自体に喜びと満足を抱くとしても、“そのボートはどこに向かっているのか”は非常に大きな問題である、ということです。
いつもと同じコースをたどるのか、
あるいは、これまで訪れたことのない魅力的な場所へと向かっているのかで、気分は左右します。
私達が舵をとりたい本当の理由は、少しでも楽しい場所へとたどり着けるようにしたいからです。
私達は先を読むこと、先見性を手に入れたことで、自分に降りかかる運命のなかから、一番マシなものを選べるようになりました。
まだ起こっていない出来事を想像し、身をもってつらい体験をせずに、それらを避けることができます。
よって、未来をコントロールしなければならない理由は、つらい体験を避けて、一番いい未来を手に入れることといえますね。
これは言うまでもない、明白な解答と思えます。
ところがこれが“意外な誤答”といわれているのは、
- 自分がどこに行きたいかくらいわかっているとボートの舵をとるのですが、その舵とりの大部分は徒労に終わっている
- つまり、行きたいと思っていたところにたどり着けずに後悔している
からなのです。
行きたいところにたどり着けないのは“先見の錯覚”を起こしているから
行きたい場所へと行けないのは、ボートが舵に反応しない(自分の行為が未来にまったく影響を及ぼさない)からもでもなく、
私達が目的地を見つけられない(望む未来を想像できない)からでもなく、
未来が望遠鏡で見えたものとまるで違っている(想像した未来と、実体験とがまるで違っている)からだ、といわれています。
目の錯覚や記憶の錯覚(無意識のうちにこういうことをやっていた)と同じように、私達は先見の錯覚を起こしているのです。
さらにその錯覚には3種類あり、すべて同じ人間心理の基本原則で説明できるといわれているのです。
では、その3種類の先見の錯覚(想像についての3つの欠点、ともいわれています)とはどのようなものなのか、
それらの先見の錯覚がなぜ簡単に改善できないのか、
が解説されているのが『明日の幸せを科学する』なのですね。
次回以降は、私達が想像する「幸せな未来」の幸せとは、そもそもどんなものであるのか、
そして、3種類の先見の錯覚について詳しくお話ししていきます。
まとめ
- 私達が未来について考える最大の理由は、これから味わう経験をコントロールするためです。さらに、未来をコントロールしなければならない意外な正答として、コントロールすること自体が心地よいから、といわれています
- さまざまな研究から、コントロール感覚は幸福感や健康状態によい影響を与えることがわかっています。また、意図していなかった研究により、突然のコントロール感覚の欠如は、はじめから持っていないよりも悪い事態を招くことも明らかになりました
- 未来をコントロールしたい理由として明白なのが、少しでもマシな未来を選べるようにするため、つらい出来事を避けるためです。ところが私達は、明るい未来を想像しているにもかかわらず、実際に幸せになれていないことが多いのです。これを意外な“誤答”といわれています
- 未来を想像しながら、行きたいところにたどり着けないのは、想像した未来と実体験とが乖離していること(“先見の錯覚”を起こしていること)にあります
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