朝活主催の ゆう です。
スキルアップ!朝活では、わかりやすく話を伝えるためのワークをしています。
実戦形式なので、自分の今のプレゼンスキルがどれくらいなのかがわかるとともに、ほかの参加者の方のプレゼンの良いところも学ぶことができます。
また、ワークで取り上げている話が偉人・先人のエピソードであり、ワークを通して人生訓も合わせて学んでいただけます。
このブログでは、その人生訓の一部を少しずつご紹介しています。
前回は、名将・武田信玄のエピソードについてお話ししました。

今回は、江戸時代の大名・上杉鷹山のエピソードをご紹介します。
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迷信に左右されない生き方を貫いた上杉鷹山
米沢藩主・上杉鷹山は、迷信の撤廃に積極的であったといわれます。
長年の習慣であっても、因果関係が成立しないものは、一笑に付して捨て去っているのです。
中でも「厄年祝い」を廃止した理由を、次のように書き残しています。
男は十五、二十五、四十二、六十二歳、女は十三、十九、三十歳。
これを俗に「厄年」と称し、必ず苦しみや災いが起きるという。
だから、厄年を迎えたら「祈祷して害を取り除かなければならない」とか、「親戚や友人が集まって祝えば凶が吉に転じる」など言っている。
しかし、これらは何の根拠もないデタラメである。
厄年であろうと、なかろうと、人間は、いつ病気にかかったり、死んだりするか分からない。
「年」そのものに、吉凶など、あるがはずがないではないか。
善を行えば幸福に恵まれ、悪を行えば災いが起きる、これは道理である。
悪を犯したり、人に危害を加えたりした者は、どれだけ祝っても、悪果を免れられるはずがない。
また善に励み、人のために尽くしている者ならば、祈らなくても幸せを得ることができるはずだ。
これは、極めて明らかなことである。
まず私が率先して、この悪弊を撤廃しよう。
国じゅうの、該当者の祈祷料などの総額は莫大な金額になるはずだ。
この無駄遣いは何としても防がねばならない。
科学の発達によって今日では、さまざまな事象の因果関係が明らかになっています。
しかしそれでもなお、厄年を気にしている人は多いですね。
「お祓いをしてもらわないと、この一年は不幸に見舞われてしまうかもしれない」
「お祓いをやらないよりはやったほうが、なんらかのリヤクがあるだろう」
と思うのでしょう。
しかし、ではお祓いをすればすべての人は不幸を避けられるかというと、そうではありませんね。
お祓いをしても、その直後に病気を患ったり、亡くなったりする方すらいます。
厄年というのは上杉鷹山の語るように、道理に合わないことなのですね。
しかし今日ならまだしも、江戸時代に、迷信に左右されない生き方を貫いた上杉鷹山にはとても驚かされます。
鷹山のように、迷信に左右されることなく、世の人への貢献のために善に励み、幸せを手にしていきたいですね。
まとめ
- 米沢藩主・上杉鷹山は、迷信の撤廃に積極的で、長年の習慣も、因果関係が成立しないものは捨て去りました。「厄年祝い」も、何の根拠もないデタラメ、年そのものに吉凶などあるはずがなく、幸福や不幸は善悪の行為で決まる、と語っています
- 科学が発達した今日でも、厄年を気にしている人が多い中、江戸時代に迷信に左右されない生き方を貫いた上杉鷹山には学ぶべきことが多いです。世の人のために善を励み、幸せを手にしていきたいものです
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