朝活主催の ゆう です。
このブログでは、世界的ベストセラー『7つの習慣』の内容を少しずつご紹介しています。
前回は、「信頼口座」の章にある「主な6つの預け入れ」のうち、「誠実さを示す」について詳しくお話ししました。
前回の記事はこちら

誠実さは人間関係で特に重要であり、これがなければ信頼残高はゼロになる、といわれるほどです。
その誠実さを示すとは、心に二面性がないこと、具体的にはその場にいない人に対しても忠実であることです。
その場にいない人に対して悪口を言ったり批判をしたりすれば、それを聞いた目の前の人は「私のこともきっと陰で悪く言われるに違いない」と思い、不審感を抱くでしょう。
また「ここだけの話なんだけど…」と、相手の気を引こうと、その場にいない人の秘密を打ち明けるのも不誠実な言動であり、残高を大きく引き出してしまう行為です。
一時の楽しみを得るために、豊かな人間関係を犠牲にするのではなく、その場にいない人にも忠実な態度でいることが、良好な人間関係をもたらす預け入れの行為なのですね。
今回は、6つ目の預け入れ「引き出してしまったときには心から謝る」をご紹介します。
主な6つの預け入れ
- 相手を理解する
- 小さなことを気遣う
- 約束を守る
- 期待を明確にする
- 誠実さを示す
- 引き出してしまったときには心から謝る
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誠心誠意の謝罪は、大きな預け入れにもなり得る
相手を理解することに努め、気遣いや約束を忘れず、期待を明確にし、二面性を見せないよう努力をすることが預け入れになることをお話ししてきました。
しかしいくら気をつけていたとしても、人間である限り、落ち度はあります。
相手の大切にしているものをつい軽く見てしまったり、気遣いを怠って相手を傷つけたりしてしまうこともあるでしょう。
そのように信頼口座から引き出してしまったときに大事なことは、心から謝ることです。
誠心誠意の謝罪は、大きな預け入れにもなり得ます。
「失礼をお詫びします」
「あなたに対する配慮が欠けていました。本当に申し訳ありません」
「みんなの前で恥をかかせてごめん。あんなふうに言うべきじゃなかった」
このように誠意を持ってすぐに謝ることが、信頼回復のために不可欠です。
謝罪をするときに問われる“人格”
自らの過ちを認めて、心から謝罪をすることは、そうそうできるものではありません。人格が問われます。
高い人格がなければ、誠心誠意の謝罪はできず、さらに相手の反感を買ってしまうことにもなるでしょう。
コヴィー博士はこう指摘されています。
(本心から謝ることは)自分に自信がなく、内面が安定していない人にはとてもできないことだ。謝るのが怖いのである。
謝ったりしたら自分が弱腰に見え、弱みにつけこまれるかもしれないと心配になる。
彼らは周りの人たちの評価が心の安定のよりどころとなっているから、どう思われるかが気になって仕方がないのである。
(『7つの習慣』より引用)
高い人格のある人は、周りの評価にとらわれず、原則にしたがって心から謝罪ができるのに対し、自分に自信がない人は周りからの評価を気にし、謝るのを恐れてしまうのですね(本当は、謝らないほうが周りの評価を落としてしまうのですが…)。
謝罪という面からも、原則を内面化させておくことの大切さがわかります。
同じ過ちの繰り返しは預け入れにならない
引き出してしまったときの謝罪で、もう1つ大事なことについて、コヴィー博士はこう言われています。
心からの謝罪は預け入れになるが、懲りずに同じ過ちを繰り返していたら、いくら謝っても預け入れにはならない。
預け入れは人間関係の質に反映される。
(『7つの習慣』より引用)
心からの謝罪には、「同じ過ちを繰り返さない」という反省も含まれます。
同じ過ちを繰り返してしまっては、反省がなく、心から謝罪をしていないことを表してしまい、預け入れにはならず、「この人の謝罪は信用ならない」と、さらに大きな引き出しをすることになります。
過ちをごまかして、謝罪を回避しようとするのは以てのほかですが、上辺だけの謝罪も謝罪とはいえないのですね。
過ちを認めずに謝罪をしないのは、過ちを犯すことより問題と心得て、また謝罪後の行動にも気を張っていきたいですね。
まとめ
- 信頼口座への主な預け入れ(相手の信頼関係を深める行為)の6つ目が「引き出してしまったときには心から謝る」です。対人関係に気を遣っていても、人間であれば落ち度があり、相手に失礼なことをしてしまうこともあります。その際に、誠心誠意、謝罪をすることが大きな預け入れになり得るのです
- 謝罪をするときに問われるのが人格です。内面が安定していない人は周りからどう思われるかが気になり、謝るのが怖く感じてしまいます。高い人格の人は周囲に気を取られず、原則にしたがって心からの謝罪ができるのです
- 謝罪をしても、懲りずに同じ過ちを繰り返していては、本当に反省をしているとは思われず、引き出しになってしまいます。謝罪後の行動で、真価が問われるのです
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