心理学ワークショップ主催の ゆう です。
今回のワークショップには、初めての方お1人を含む、7名の方にご参加いただきました^^
日曜日の夜という、明日に備えて早く帰りたい方が多いと思われる時間でしたが、予想に反してたくさんの方に来ていただき、嬉しく思います(^^)
今回もディスカッションを実施したところ、みなさん、意見を積極的に言ってくださり、とても実りの多い時間となりました。
一方的に聞かれるだけでなく、アウトプットすることでより理解を深めていただけると、改めて実感しました。
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原因論と、アドラーの唱えた「目的論」
今回のテーマは、
アドラー心理学から学ぶ 「トラウマを否定する“自立した生き方” 」
についてでした。
トラウマとは、過去に受けた心的外傷のことをいわれます。
この心的外傷によって今の行動が決定されている。ゆえに今が苦しいとすればそれはトラウマのせい、という考えを「原因論」といわれます。
これは、トラウマという言葉を多用するようになったフロイトの主張ですね。
これに対し、アドラーは「遺伝もトラウマもあなたを支配してはいない」と、原因論を否定しているのです。
アドラーは、トラウマが行動の原因ではなく、行動には必ず目的があり、目的にしたがって行動を選択しているという「目的論」を唱えました。
前回は、対人恐怖症の子の具体例を通して、原因論と目的論の違いをお話ししました。
前回の記事はこちら

アドラー心理学の観点から見れば、この子にはある目的があり、その目的を果たすために対人恐怖症を引き起こし、その対人恐怖症の原因として過去の家庭内暴力という経験を選び取っている、といえます。
ではこの子の目的とは何なのでしょうか?
行動に必ず目的がある。そのために行動しているという目的とは?
人に話しかけられなくて苦しんでいる この子の本当の原因。それは過去の経験ではなく、目的にあるのです。
それはどんな目的かといえば、人に話しかけたけれど無視されるではないかと恐れ、「無視されて傷つきたくない」、そして「これは仕方ないことなんだと思いたい、自分を正当化したい」という目的です。
この目的を果たすために、経験の中から、目的に適うもの(家庭内暴力を受けた)を見つけ出し、自分は過去にこういうことがあったから今が苦しいんだ、こうなってしまうのは仕方ないんだ、と自らを納得させているのですね。
アドラーは、
いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。
とも語っているように、今の自分を正当化するためにその経験を自分の思うように意味づけをしているのです(もし今が幸せなら、過去にそういう経験のおかげで今の自分があるんだ、とさえ思えるでしょう)。
ベストセラー『嫌われる勇気』には、赤面症の女性の例も紹介されています。
好きな男性がいるものの、「自分は赤面症だから、告白してもきっとうまくいかない」と言って、その女性は悩んでいました。
「赤面症がトラウマとなって好きな男の子に告白できない、悩んでいる」という考えを持っているのですね。
しかしこれは原因論的な見方です。
目的論的に見ると、そもそもこの女性には「告白して傷つきたくない、裏切られたくない」という目的があるから告白をしないのであり、自己正当化のために赤面症を告白しないことの原因にしている、といえるのですね。
この目的が変わらない限りは、たとえ赤面症が治ったとしても、また別の症状を作り出しさえする、というのが目的論的な見方なのです。
アドラーは、
人は人生の敗北を避けるために、あらゆるものを利用する。
とも指摘をしています。
負けを認めたくない、自分を正当化するために、症状さえも作り出してしまうのが私たちなのですね。
次回は原因論にとどまることの問題点とは何かを詳しくお話ししていきます。
まとめ
- トラウマ(=過去に受けた心的外傷)によって今の行動が決定されるという考えを「原因論」、それに対し、目的が先にあって、その目的を果たすために行動を選択しているという考えを「目的論」といいます。アドラーは原因論を否定し、目的論を唱えました
- アドラー心理学の観点でいえば、対人関係を避けるのにも目的があるといわれています。それは「対人関係で傷つきたくない」、またそんな自分を正当化したい、という目的です。そして、この目的に適した過去の経験を選び出しているのです
- いかなる経験もそれ自体は成功の原因でも失敗の原因でもありません。自己正当化のために、過去の経験に意味づけをしている、人生の敗北を避けるためにあらゆるものを利用する、といわれています
続きの記事はこちら

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