1/20(土) アドラー心理学に学ぶ“見かけの因果律”とは|朝活レポート190

朝活主催の  ゆう です。

今日の朝活には初めての方3名を含む、6名の方にご参加いただきました^^

今年初となる朝活に、今回も多くの方に来ていただき、とても盛り上がりした☆ おかげさまで良いスタートを切ることができました(^^)

趣味や仕事の話に加えて、プレゼンの方法も共有でき、有意義な時間を過ごせました。

スポンサーリンク

朝活ワークの学び「アドラー心理学に学ぶ“見かけの因果律”」

朝活のワークでは、アドラー心理学で出てくる「見かけの因果律」ということについて学びました。

みなさんは、仮に何かのことで挫折をしてしまったときに、どんな気持ちになるでしょうか? どう自分を納得させているでしょうか?

「自分の努力がまだまだ足りなかった」
「自分の読みが浅く、タイミングが悪かった」

などのように反省する人は、たとえ今はうまくいかなかったとしても、自分を向上させ、次回の成功へつなげられると思います。

しかし、なかなかそう素直に反省することは難しいですね。

反省し向上するということができずに、

「あの人に足を引っ張られた」
「環境が良くなかった」
「私にはそもそも成し遂げられることじゃなかった。自分はもう限界だ」

と他人や環境のせいにしたり、あきらめてしまったりすることもあるでしょう。

では、誰かのせいにしたり、自分の能力に限界があると認めたりするのは、正しいことなのでしょうか?

責任転嫁のために、因果関係があると見せかけている

それについて「アドラー心理学入門」(岸見一郎著)には以下のように書かれています。

自分の今のあり方について、遺伝、あるいは、これまでの親の育て方などを持ち出すことを、アドラーは因果関係があると見せかけることと呼んでいます。

すなわち、実際には何も因果関係のないところに、因果関係を見出すということですが、そうすることの目的は、自分の行動の責任を他のものに転嫁することです。

遺伝や親の育て方、環境等々を自分が今こんなふうになっているということの原因に見せかけるわけです。

本当は自分の行動に責任があるのですが、それを認めたくない。
そのために何も因果関係のないところに因果関係があると見せかけるのが「見かけの因果律」なのですね。

因果律があると見せかけることで責任転嫁することはできるのですが、果たしてそれで本当にいいのでしょうか?

責任転嫁すれば、自分の反省・向上にはなりません。
自分の能力に限界があるとあきらめれば、それ以上の努力はしなくなってしまいますね。

何事も自分の責任と認めることは勇気のいることですが、因果律を見せかけることなく自分の行動に責任を持ち、自己成長・向上につなげていきたいですね。

まとめ

  • 何かのことで失敗をしたり挫折をしたりしたとき、なかなか素直に反省することは難しく、他人や環境に責任を求めてしまうことがあります。しかしそれは「見かけの因果律」にはまっている、とアドラー心理学ではいわれます
  • 「見かけの因果律」とは、因果関係があると見せかけることをいいます。そのように本来は因果関係のないところにそれを見出すのは、自分の行動の責任を転嫁したいからです。しかし責任転嫁しても自らの向上にはつながらず、今後の努力も放棄してしまうのです

朝活に参加された方の感想

○プレゼンの仕方がとても勉強になりました。

○とても面白く学ぶことができてよかったです。また行こうと思いました。

引用した書籍

アドラー心理学入門 (ベスト新書)

スポンサーリンク