朝活主催の ゆう です。
スキルアップ!朝活の題材にしたこともある世界的なベストセラー『7つの習慣』の内容を少しずつご紹介しています。
前回は、「7つの習慣」の第1の習慣である「主体的である」についてお話ししました。
前回の記事はこちら

「主体的な人」と聞くと、自らが率先して動いている人のことのみだと思われますが、それだけでははありません。
周りの環境にそのまま反応することなく自らの価値観にもとづいて行動を選択し、その責任を引き受けている人も「主体的な人」なのです。
そのため、上からの指示に従う場合でも、自分の価値観にもとづいた上で指示に従い、その責任を引き受けている人は「主体的」といえるのです。
反対に、物理的、社会的な環境に左右されてしまう人は「反応的な人」といわれます。反応的な人は、精神状態やパフォーマンスが周りの変化によって変化し、安定しないのです。
そんな周りに左右される反応的な人は「決定論のパラダイム」に陥っているといわれます。
今回は、決定論のパラダイムについて詳しくご紹介します。
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3つの決定論のパラダイムと、その誤り
決定論-自分とはどんな人間か、どのような人生を歩むのかが決定されているという考え-には大きく3つあります。
それが
- 遺伝子決定論
- 心理的決定論
- 環境的決定論
の3つです。
①遺伝子決定論
遺伝子決定論は、遺伝子によって自分の性格はすでに決められていると思ったり、また、人から「あなたの性格は親譲りだ」と言われて、そう思ったりすることのことです。
②心理的決定論
心理的決定論は、親の育て方や子供時代の体験によって性格や人格が決まり、それはもう変えられない、と思うことです。
『7つの習慣』にはこう書かれています。
大勢の人の前に出るとミスをするのではないかと強い恐怖心を持つのは、大人に依存しなければ生きられない幼児期に親からひどく叱られた体験を覚えているからだという理屈だ。
親の期待に応えられなかったとき、他の子どもと比較され親から突き放されたりした体験が心のどこかに残っていて、それが今のあなたをつくっているというのである。
③環境的決定論
周りの環境、すなわち上司や配偶者、あるいは政治・経済の情勢のせいで自分はこうなっている、という考えのことです。
これらの決定論に共通するのは、「自分では変えようがない。自分がこうなっているのは他の何か・誰かのせい」というパラダイムです。刺激に対して反応的、ということですね。
もし仮にこれらの決定論が正しかったとしたら、どうなるのでしょうか?
他の何か・誰かのせいにしている限りは、それらが変わらない限りは、今の自分も変わらないことになってしまいます。
では、その他の何か・誰かは変えられるものかというと、簡単に変わるものではありません。
遺伝子を取り替えることも、子供時代の経験を過去に遡って塗り替えることも不可能です。自分の選択・行動が変わらないままでは、他の誰かが変わることもないのです。
決定論のパラダイムに陥っている反応的な人は、被害者意識を持ち、責任転嫁をし、精神的にも不安定になってしまいます。
刺激と反応の間には“選択の自由”がある
『7つの習慣』では、
「刺激と反応の間には選択の自由がある」
という原則があることを教えています。
たとえ どのような状況であろうとも、自分の行為は自分で選択できる、刺激に対しても自分の価値観にもとづいた行動ができる、といわれています。
「自分がこうなってしまった原因は自分以外にある」と思ってしまったときこそ、この原則を思い出し、自分の変えられることに着目し、適切な行動を選択していきたいですね。
まとめ
- 主体的な人とは、周りにそのまま反応することなく、自らの価値観にもとづいて行動を選択し、責任を引き受けている人のことです
- 周りに左右されてしまうのが反応的な人です。反応的な人は決定論のパラダイムに陥っている、といわれています
- 決定論には、以下の3つがあります。決定論は「自分では変えようがない。自分がこうなったのは自分以外のもののせい」ということが共通しています
- 遺伝子決定論(遺伝によって自分の性格はすでに決められている)
- 心理的決定論(親の育て方、子供時代の経験で自分の性格は決まった)
- 環境的決定論(周囲の環境によって自分はこうなった)
- 決定論に陥っては、被害者意識を持ち、責任転嫁をし、精神的にも不安定になってしまいます。どんな刺激に対しても、私たちはただ反応するしかないのではなく、選択の自由があるのです
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