朝活主催の ゆう です。
スキルアップ!朝活のワークではプレゼンの練習をするとともに、ベストセラー書からも学びを得ています。
中でも世界的なベストセラーといわれる『7つの習慣』について、このブロクではその内容を少しずつご紹介しています。
前回は、「7つの習慣」を身につける上で知っておくべき原則「P/PCバランス」についてお話ししました。
前回の記事はこちら

今回から、「7つの習慣」の第1の習慣である「主体的である」をご紹介していきます。
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「主体的」と「反応的」の大きな違いとは?
「主体的」という言葉、みなさんはどういう意味で使われているでしょうか?
「指示を待つのではなく、自発的に行動していくことだ」と思われている方が多いと思います。
そういう意味も含まれているのですが、『7つの習慣』では、そのような意味だけではないと指摘されています。
主体性とは、自発的に率先して行動することだけを意味するのではない。
人間として、自分の人生の責任を引き受けることも意味する。
私たちの行動は、周りの状況ではなく、自分自身の決定と選択の結果である。
私たち人間は、感情を抑えて自らの価値観を優先させることができる。人間は誰しも、自発的に、かつ責任を持って行動しているのである。
(『7つの習慣』より引用)
率先して行動するだけでなく、
状況に流されずに自らが選択をして決定し、その決定の責任を引き受けていることも「主体的」といわれています。
反対に、状況に流されて自分には選択の余地はない、だから自分には責任はないと思ってしまうのは「反応的」といわれます。
反応的な人は、たとえば、天気が良ければ気分も良くなりますが、天気が悪いと気持ちがふさぎ、行動も鈍くなる人です。
また反応的な人は、物理的な環境だけでなく、社会的な環境にも影響を受けます。
『7つの習慣』にはこういわれています。
反応的な人は、社会的な環境にも左右される。彼らは「社会的な天気」も気になってしまうのだ。
人にちやほやされると気分がいい。そうでないと、殻をつくって身構える。
反応的な人の精神状態は他者の出方次第でころころ変わるのである。
自分をコントロールする力を他者に与えてしまっているのだ。
(『7つの習慣』より引用)
他者にどう思われているかにそのまま反応してしまうのが、反応的な人です。
周りからよく思われていれば調子は良くなり、良いパフォーマンスを発揮できますが、いったん周りの評判が落ちてしまうと、途端に身構えて落ち込んでしまう、精神的に不安定になってしまうのですね。
また反応的な人は「自分ではもう、どうにもできない」とか「こんな状況になったのはあの人のせい」という“決定論のパラダイム”に陥ってしまいます(決定論のパラダイムは次回、詳しくご紹介します)。
このパラダイムに陥れば、自己憐憫に溺れ、周りの人にも迷惑をかけ、嫌な思いをさせてしまいかねません。
主体的な人は自分の中に“自分の天気”を持っている
反応的な人とは逆に、主体的な人とは、物理的な環境や社会的な環境に左右されず、自分の価値観にもとづいて自らの行動を決定することができる人です。
『7つの習慣』にはこう書かれています。
主体的な人は自分の中に自分の天気を持っている。雨が降ろうが陽が照ろうが関係ない。自分の価値観に基づいて行動している。
質の高い仕事をするという価値観を持っていれば、天気がどうであろうと仕事に集中できるのだ。
(『7つの習慣』より引用)
主体的な人も、周りから影響を受けないわけではありません。
しかしそれに流されることなく、価値観にもとづいて自分の行動を選択し、それに対する責任も引き受けます。
そうすれば気持ちも安定し、常に高いパフォーマンスを発揮し続けることができるのですね。
自分ではどうにもならないと思える刺激に対しても、それについての反応は自らが決定するのです。
主体的か反応的かで、大きく結果も変わる
たとえば、上司から残業を命じられたとき、どんな反応をされるでしょうか?
「どうせ断れない」と思って嫌々ながら命令に従うのか、
あるいは、「自分にとっても会社にとっても大切なことだから、ぜひやりたい」と前向きに引き受けるのか、
さらには、残業を引き受けない、という選択もできるのです。
もし「どうせ断れない」と思って引き受けたなら、残業時間での作業効率はなかなか上がらないでしょう。「あの上司、早く帰ってくれないかな」と上司の様子も伺いながらになり、集中はできそうにありませんね。
そして何かミスが生じた場合には「上司が残業なんかさせるからだ」と、被害者意識を持つようになってしまいます。
反対に、前向きに引き受けたなら、仕事にも集中でき、効率も上がっていくはずです。自分の仕事に対しても責任を持ち、ミスがあれば素直に謝罪をして、反省もできるでしょう。
刺激に対して私達は自分の価値観に従って選択できる。決して反応的な態度・行動しか取れないわけではない、ということをまず意識していきたいですね。
次回は、反応的な態度・行動を引き起こしてしまう“決定論のパラダイム”についてお話しします。
まとめ
- 「主体的である」とは、率先して行動することだけでなく、状況に流されずに自らの価値観に基づいて選択を決定し、その責任を引き受けることも意味します
- 対して、自分の行動は他者や環境に左右させると考え、自分には責任がないと思うのが「反応的な」態度です
- 周りからの刺激がどうであろうと、自分の価値観に基づいて行動することは可能です。周りに流されるか、自らが選択していると考えるかで、その後の結果も変わっていきます
続きの記事はこちら

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