「厄年」や「たたり」は、何の根拠もないデタラメ

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yozan米沢藩主・上杉鷹山は、

迷信の撤廃に積極的であった。

長年の習慣であっても、

因果関係が成立しないものは、

一笑に付して捨て去っている。

 

中でも「厄年祝い」を廃止した理由を、次のように書き残している。

 

「男は十五、二十五、四十二、六十二歳、女は十三、十九、三十歳。

これを俗に『厄年』と称し、必ず苦しみや災いが起きるという。

だから、厄年を迎えたら『祈祷して害を取り除かなければならない』とか、

『親戚や友人が集まって祝えば凶が吉に転じる』など言っている。

 

しかし、これらは何の根拠もないデタラメである。

 

厄年であろうと、なかろうと、人間は、いつ病気にかかったり、死んだりするか分からない

『年』そのものに、吉凶など、あるがはずがないではないか。
善を行えば幸福に恵まれ、悪を行えば災いが起きる、これは道理である

 

悪を犯したり、人に危害を加えたりした者は、どれだけ祝っても、悪果を免れられるはずがない。

また善に励み、人のために尽くしている者ならば、祈らなくても幸せを得ることができるはずだ。

これは、極めて明らかなことである。

 

まず私が率先して、この悪弊を撤廃しよう。

国じゅうの、該当者の祈祷料などの総額は莫大な金額になるはずだ。

この無駄遣いは何としても防がねばならない。」

 

科学が発達した今日でさえ、厄年を気にしている人がいるのに、

江戸時代の米沢に、これほどハッキリ断言し、迷信に左右されない生き方を貫く人物がいたとは、驚きである。

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